元AV女優「渡辺まお」を私は愛することができるのか? 塞がっていた過去の傷をこじあけた軌跡【神野藍】
神野藍「 私 を ほ ど く 」 〜 AV女優「渡辺まお」回顧録 〜連載第32回
【無意味なセックスと八方塞がりの空間】
所詮、芸名が作り上げた人格の一つで、引退して名前を失えば「まおちゃん」は自然と消えていくものだと思っていたが、それは大きな間違いであった。わたしがずたずたにした無残な姿のままで隣に居座り、わたしの喉元にぴったりと吸い付いて、「もう用済みなの?」とにっこりと笑ってみせた。
きまって彼女はわたしが幸せになろうとした瞬間にふいに現れて、嫌な夢を見せるようになった。わたしが少し離れていたところで眺めていた凄惨な行為を、当事者、つまりは彼女として追体験させられる内容だ。本来、わたしがその当時抱えなければいけなかった苦しみや悲しみといった感情たち、その全てを混ぜ込んだ狭い水槽の中にわたしを突き落とし、溺れさせる。彼女は藻掻いているわたしを見て、静かに告げるのだ。「一人で幸せになろうとしないで。忘れないで。」と。
時折、無意味なセックスをするようになった。行為の後に「ああ汚い」「あさましい」と思うことが一種の安心を生んでおり、内容が歪であればあるほどその夜はよく眠れた。もちろん、そんなわたしの状況が普通でないことは分かっていたけれど、どうすることもできずに、ただただ終わりがくること、何かの間違いで〈渡辺まおという存在そのもの〉がこの世の中から消え去らないかと祈ることしかできなかった。あんなに好きだった存在がこんなにも憎く思えるなんて、おかしな話だ。
2023年4月。たまたま取材で知り合ったライターの方に、この連載を担当してくださっている方を紹介していただいた。「神野さんのこれまでについて書いてみませんか」と言われたときは、光が差し込んだかのような感覚に陥った。その頃のわたしは四方八方が塞がれた水槽の中で、彼女が暴れ出さないように機嫌をとりながら、抜け出す手立てもなくのうのうと生きていた。常に酸欠を起こしているような空間で頭がぼんやりとしつつも、これが偶然巡ってきた最後の望みであることははっきりと自覚していた。これまでの人生や彼女と過ごした時間を書いていくことで、わたしと彼女のがんじがらめになった状態を少しでも解すことができたならば、再び彼女を愛することができるかもしれないと。あの頃彼女がわたしを救ったように、今度はわたしが彼女を救わないといけない。